世界5月号「生きよう」


4月16日は大阪でも約3500人が集まり御堂筋デモが行われた。元気になるデモだったと参加した友人の感想。たくさん集まってよかった。
久しぶりに「世界」を手にした。東日本大震災原発災害特別編集として30人以上の方が寄稿している。
 地震学者石橋克彦さんは「根拠なき自己過信の果てに」と副題し、戦争へと突き進んでいった「軍国主義の時代」と「原発主義の時代」が酷似していると書いている。
「根拠のない自己過信」と「失敗したときの底の知れない無責任さ」によっって節目節目の重要な局面で判断を誤り「起きては困ることは起こらないことにする」意識と、失敗を率直に認めない態度によって、戦争も原発も、さらに失敗を重ねた。そして多くの国民を不幸と苦難の底に突き落とした。このことは鎌仲ひとみさんと飯田哲也さんの対談でも指摘されている。この対談もいい。
田中三彦さんは副題に「議論されない原発中枢構造の耐震脆弱性」として書かれている。そこでは、地震の影響で福島1の1号機がいち早く冷却材喪失となったと経過から分析している。(わかりやすいです)津波によって非常用電源が流され冷却できなくなる前に、福島1の1では地震の揺れで、壊れた配管から急速に水が漏れていった。これを読んで感じたことは、老朽原発の配管はまず地震によって破壊されるということ。30年以上経っている原発が20基以上もあると思うと身震いする。
中野佳裕さんという1977年生まれの若い研究者の記事を引用したい。人間の考えは多様であるとしながら中野さんはこのように言う。「生まれる」という経験そのものは全ての人に共通するものである。この普遍的な経験から出発して、多様な生き方の根底に共通の守るべき価値を置く社会を創ることが、これまでどうしてできなかったのだろうか。「生まれることの」の意味を深く反省し、安心・安全に生命を産み出す活動を数世代にわたり維持する社会、すなわち「生命の再生産」を補償する社会を創ることこそが、私たちが最も取り組まなければならないことではないだろうか。
このよう書いている。
いのちを脅かさない社会。当たり前のことだと思うのだが・・・。当たり前のことが実現できていない。人類史は実現できていない。それ以上に近代は享楽のために「いのち」を脅かしている、と言えないだろうか。そのように思う。