鳥越ゆり子さんの詩の朗読と乃木陽子さんのうた。

写真は懇親会の模様しかとれていないのです。

バックの紺色の布は鳥越さんが自分で染めた藍染め。自作詩が書かれています。
(すごいエネルギー・・・驚きます。)
人数は少なかったけれど16人、新しい出会いがあったと思います。
別のコンサートでの模様は「乃木陽子」で検索すればすぐに出てきます。
鳥越さんは表現者という言葉がふさわしい人でした。最後に朗読された白骨都市。


白骨都市

骨になりにゆくのだ。
それも一人や二人ではない。
そのなかにわたしも混じっている。
骨になる場所は、瓦礫の斜面に取り囲まれた凹んだところである。
あたりは、倒壊した建物が、奇妙な幾何学を描いて、林立している。
直線で構成されているのが都市のはずなのだ。
遠景には、ぐんわり波うったレールや道路が見えている。
倒壊した建物は、コンクリートの外壁がはがれ落ちている。
生活用具が、ぐちゃぐちゃに潰れた人間の内臓を思わせる。
地面は、苦土石灰を撒いたように、焼け焦げている。
ぶすぶすと黒い煙が漂い、ちろちろと赤い炎があがっている。
どんよりと煤けた空、鼻を刺す異臭。
地面から、もう先に骨になった人の、しらじらとした腕や足が散らばっている。
眼窩が半分土に埋もれた頭蓋骨も、あちこちに規則正しく並べられている。
制作中の白磁の壷の群れのようで、人間の頭部だと思わなければ、美しくさえある。
頭蓋骨のむこうに、緋色の衣をまとった涅槃仏が、石の枕をして横たわっている。
ふくよかな胸や臀部と、ゆるやかに伸ばされた手足が、蓮池の夢を告げている。
うっとりと閉じた瞼、うっすらと微笑んだ唇。
意志して、骨になりにゆくのだから、不気味な光景なはずなのに、恐怖などない。
悲哀もない。
ごくごく日常の暮らしの続きのように、淡々とした光景が広がっているだけだ。
列のなかで、前進しながら、骨になったら、わたしもああなるのだ、と思う。
特別な感慨もないから、わたしは感情を失っているのだろう。

骨になるには、まとめて焼かれなくてはならない。
バスに乗る順番を待っているように、見知らぬ女たちに混じっていた。
誰も何も言わない。
無言の行列が、人間であることを忘れて、静止している。
列のすき間から覗くと、前方に四角いコンテナがいくつかあった。
焼却炉だ。
そのなかのひとつの扉が左右に開いている。
ステンレス製の床に、互い違いに頭と足が見えている。
なるほど、ああいうふうに横たわるのか、とへんに得心した。
ざわざわと人群れが動きはしめた。
扉の入口に、制服を着た男が二人いて、入れ、と顎をしやくった。
一人はいり、二人はいり、わたしは三人目である。
足と頭を逆さにしながら、ごろりと横たわる。
一度にすこしでも多くの人数をこなさなければならないのだ。
ぎゅうぎゅうづめに体をおしつける。
むろん誰に強制させられるのでもない。
わたしが心得ているように、女たちはみんな心得ている。
焼却する方法は二つあるようだ。
ひとつは冷凍のマグロのように、立ったまま、瞬間的に冷却する方法。
もうひとつは、横たわって、気絶してしまうように、一人一人注射 をされる方法。
どっちを選んでも焼却されるのには、かわりがない。
が、そのコンテナに乗りこんだ集団の意志で選択できるらしい。
わたしの属する集団は、床に並び、注射で意識を失う、という選択をしたらしい。
どちらを選ぶか、二、三人のあいだで揉めていたが、どうでもいいことだ。
わたしが選んだのは、自ら骨になろう、とすることだけだったので。
男たちが、右からと左からと順々に腕に注射をはじめた。
わたしの左腕もグサッと針がつきたった。
もうろうとする意識のなかで、扉が閉まる鈍い音が聞こえた。

わたしは骨になってしまったのだろうか。
熱さも寒さも感じないで、目の前に白骨の光景がひろがっていた。
すぐそばでガサゴソと箸でつつく音がする。
気がつくと、一人の少女が、煤けた椀を手にして、骨を拾い集めている。
少女は無言だが、わたしには、胸のなかの言葉がわかった。
おかあさん、おかあさん、とつぶやいているのだ。
おかあさん、か。
わたしに不思議な感情がわいてきた。
するとなぜだか、悲しみの気持ちが起きてきた。
骨になって、はじめて涙がでてきた。
少女の無言のつぶやきは、ほかの骨にも聞こえたらしい。
どの頭蓋骨からも、びっしり水滴がわいてきている。
それでますます悲しくなってきた。
周囲をみわたすと、頭蓋骨はいつか沼に浮かぶ睡蓮になっていた。
沼特有の濃い徹生物の匂いがしている。