放射能汚染時代

放射能に汚染されることで田も畑も、そして、地域社会も家族も壊されていく。
風に乗っていった放射性物質は30キロを超えて福島県飯舘村にも降下した。Uターン、Iターンなど若い人たちを呼び寄せようと努力してきた村が放射能で押しつぶされようとしている。
放射線の影響について学者やマスコミを動員して、「安全」を強調している。放射能の人間に対する影響について、おびえることは無知だといわんばかりだ。
放射能を浴びる線量が多ければ多いほど発ガンリスクは増える。それまでも否定するのだろうか。乳児、子供、成長期の若者に影響が大きいことを否定するのだろうか。今まで妊婦に対して、レントゲン撮影はきわめて慎重であるべき、という医学会の常識を否定するのだろうか。
 発ガン死の確率。それが1万人に1人であるのか、5000人に1人であるのか、1000人に1人に増えるのか。その一人が私の愛するものであったら、それはいやなのだ。苦しむのが子供たちであったら、もっといやなのだ。これは私のわがままだろうか。
 チェルノブイリでもそうだった。老人が村に残され、悩む若者は子供たちの健康を考えて村を去っていったという。放射能汚染が土地だけでなく、地域や家族の絆を破壊した。これから「汚染地帯」で始まることではないのだろうか。福島の悲劇はとても深い。
 「原子炉時限爆弾・・・大地震におびえる日本列島」で原発震災を警告していた広瀬隆さんは4月10日の講演会の資料でこう結んでいる。
 「若い世代は避難   それ以外は一定の覚悟が必要」とし、「データーを一切隠すことなく公表しその危険性を国民に告知する。そして30才を越えた個人が危険性をみずから判断し、すべの出荷制限を取り払い、皆が全ての放射能汚染食品を食べるほかない。汚染水も飲む。政府は「直ちに健康に影響は出ない」と言い続ける。

 私はご冥福を祈りたい方がいる。この方の無念を原発を思うと心が痛む。3月24日。64歳 男性。福島県有機農業を営んでいた方が自死された。お名前は報道されていない。土を作り、「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。
以下、見つけたニュースから引用です。

福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷に意欲をみせていたという男性。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。
 自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。ただ、畑の約7500株のキャベツは無事で、試食も済ませ、収穫直前だった。遺族によると、男性は21日にホウレンソウなどの出荷停止措置がとられた後も「様子をみてキャベツは少しずつでも出荷しないと」と話し、納屋の修理などに取り組んでいた。
 23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむせるようなしぐさを繰り返した。「福島の野菜はもうだめだ」。男性の次男(35)は、男性のそんなつぶやきを覚えている。「今まで精魂込めて積み上げてきたものを失ったような気持ちになったのだろう」
 男性は30年以上前から有機栽培にこだわり、自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、この地域では育てられなかった高品質の種類の生産にも成功。農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていた。「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」。そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。
 遺書はなかったが、作業日誌は23日までつけてあった。長女(41)は「こんな状態がいつまで続くのか。これからどうなるのか。農家はみんな不安に思っている。もう父のような犠牲者を出さないでほしい」と訴える。(西堀岳路)