東日本大震災、そして原発事故で障がい者、老人はどのように過ごしたのか、お話を聞く機会があった。

 南相馬市特定非営利法人ピアで、障がい者、老人のケア事業をおこなっている青田由幸さん、同じ南相馬市で看護師をされている大和田みゆきさん。
 避難所での老人、障がい者の居づらさは伝え聞くこともあったが、青田さん、大和田さんのお話を聞いて、改めて厳しさを知らされた。
 南相馬市は沿岸部は津波の被害、それを免れた中心部を含む市域は、強制避難、自主避難などで翻弄されていく。そして、避難できなかった人たちが1万人いたという。そして、ライフラインが止まり、物資も届かず孤立していく。その過酷さは想像を絶する。
 大和田さんは自ら障がいを抱え、子どもたちも障がいがある。避難できずに自宅にとどまった。原発事故で避難が始まった3月からから5月中旬まで、その日を生きていくのに必死だったという。その頃、事故後、避難できなかった障がい者、老人、家族を一軒づつ訪問し、安否確認していた青田さんに出会った。原発事故が起きなかったら、無用な避難もしなくて良かったし、避難による死も起きなかったはずなのに。そして、被曝量も。原発事故だけでなく、大規模災害が起こったとき、先ず無傷な健常者は逃げることができる、最後に残るのが移動することができない、障がい者、老人であること。そしてその家族であることを改めて認識した。
 映画とお話は
3月30日1時半から吹田岸部市民センター
3月31日1時から豊中人権まちづくりセンター
で開かれる。