2つの催しで考えたこと

2月19日には「フォトジャーナリストが語る世界の子どもたち」「安田菜津紀×渋谷敦志
そして、2月20日には「康宗憲さんのお話を聞く会」がスペースふうらで開かれました。
スペースふうらのブログにもそれぞれの催しの内容を書いたので、ここではもう少し私ごとに引きつけて書いて行きます。
この2つの催しで私があらためて思ったのは「命は粗末にしてはいかん」ということです。貧困の中で「救われる命と見捨てられる命」を写真におさめる若きフォトジャーナリストたち。死刑囚として国家から生存を許されない命であった康宗憲さん。
命を捨ててはだめです。奪っても奪われてもならないと思います。

さて以下は康宗憲さんのお話のことになります。
軍事政権化の過酷な弾圧に康宗憲さんたちはどのように心を保っていったのだろう。ボクにはとても絶えられないな、と思っていました。著書を読んでもこの疑問は残りました。人間の尊厳を奪い、再び立ち上がれないようにするためにする拷問。そのような屈辱から、死刑判決を受けて、ようやく最高裁ではじめて意見陳述することができたこと。そこまで精神の復活に時間を要したということです。そして、獄中では自殺を許さないために24時間の手錠生活強いられ、そこから生還してきた康宗憲さん。救援運動、家族の支えはもちろん在ったでしょう。しかし私は韓国民衆の思いが支えたということを感じました。民主を渇望する詩の広がり。それは心の広がりでも在ったのです。

当日朗読した詩のひとつ朴ノへの詩を紹介します。

        ―冬を経ない春―
冬でもイチゴを味わえるありがたい世の中
まっ赤にうれた四粒のイチゴは、凍えた手のひらにまぶしいばかり
風呂あがりの愛しい人みたいにそっとかじってみたら
甘酸っぱい生気が体じゅう満ちるのに
病気で落ちた食欲も回復するのに、と大変な誘惑さ
その瞬間、ちがう|と叫ぶ声が聞こえたね
今は冬なのにお前は違う、お前は冬を生きなかつた
凍てついた土に身を埋め、耐えながら春を恋い焦がれはしなかった
お前は季節はずれだ
お前のなかには生きている上の力がなく
清らかさも力強さも深い熟成もない
きれいでスマートだけど、お前のなかは毒々しいもので満ちている
お前は肥沃な土の生命を搾取したのさ
春を先取りし、未来を横取りして大きくなったんだ
今お前はちやほやされよく売れるけど、温室育ちのぬけがらさ
お前の成功は本物じゃない
だからお前も本物じゃないんだ
お前の体には冬の傷跡も熱さもない
体いっぱいに震えては燃え骨の髄までしみる寒さも、闇も、悲しみもないから
純潔で強靭な愛もないのさ
冬をしっかりと生きない限り、明日のまっ赤な希望には決してなれない
この頃の世の中には冬がないんだってね
事務室もアパートの部屋も暖房であったかく
自動車に乗つたらファンヒーターが体を包んでくれる
真冬でも半袖の服が売れるんだって
スーパーには新鮮な野菜と果物がいつぱいで
みんなが春を先取りして生きている
ああ、春までも栽培して売るんだあの恐ろしい手どもが
冬を消した時代に、冬を征服してしまった時代に、
人間にとって本当の春はどこに行けば見つかるんだ
凍てついた壁のなか、四枚重ねの毛布にくるまって続ける
真冬の精進はえろう辛いものだが
まっ赤にうれたみずみずしい四粒のイチゴ、
お前は狂おしく誘惑するけど
お前を食べはしないぞ
お前の味を知ったら、おれの春は永久に死んでしまう|
寒さに震える貧しいおれたちの春は土の下からよみがえる春
アカ切れの足でゆっくりと、かじかんだ胸と手を取り合いながら
下から一緒に登ってくる春なんだ
寒さが厳しければもつと青く力強く満ちてくる春なんだ
冬のただなかで、冬を抱いて生きる寒くて悲しい人々よ
真冬のふところで痛々しく成長する春は
どうしてこんなにも体じゅうが震える痛みなんだ、ときめきなんだ、
しめつけられるような待望なんだ。・・・__