廣石雅信のコンサートそして「ミツバチの羽音と地球の回転」のこと

24日には廣石雅信さんのコンサートインふうらでした。雅信さんは、歌いたいものを何の束縛もなしに歌いたい、という。雅信さんはそのように生きてきたのだろう。自分の身の丈を守り、歌い、発信してきた。30年以上も。高田渡が好きな雅信さん。風貌は高田渡と違って体格も顔も丸いが、決して偉そうなことは言わない雅信さんだ。彼がが撮った大阪・信太山の写真を「スペースふうら」で展示したが、彼がいかに愛情をこめてシャッターを切ったのかがよくわかる。信太山大阪平野でも貴重な自然が残されているところ。その場所を行政はグランドや体育設備を作ってつぶそうとしている。
コンサートが終わり、写真をスライドで映し出した。痛んだ蝶の羽、蜻蛉、春を迎える花。彼は語る。「絶滅危惧種がいるから反対ではないんです。」身近な小さな生き物を愛する雅信さんの話。いい話だった。4時ごろから始まった懇親会は夜の9時まで。楽しかった。

先週は水曜日に「ミツバチの羽音と地球の回転」を見に行く。
瀬戸内海、祝島の対岸に原発建設予定地がある。上関原発の予定地だ。祝島漁協はそこでは28年間、原発建設と闘っている。漁業で生きる人々にとってそこを埋め立てられることは死活問題になる。そして、原発が大量に流す温排水によって生態系は大幅に変わってしまう。50歳代が若手である祝島の漁民。彼らに対し中国電力の社員はマイクで「一次産業に頼っていては未来はない」と作業船を阻止する漁船団に言う。しかし、実は未来がないのは、原発に象徴される環境汚染エネルギーであり、浪費型のエネルギー消費社会なのだ。映画は自然循環型のエネルギーへのシフトに成功しつつあるスエーデンのモデルを取材しながら、祝島の漁民、農民を描き出す。
 私たちは祝島からはあまりにも遠くにいる。距離のことではない。生活の質があまりにも遠い。都市の私たちはあまりにも自然から遠い。この映画を見終わったときの感じはその「遠さ」だった。
今も祝島では阻止行動が続いている。私は何ができるだろうか。誰も祝島に住むおじい、おばあ、そして祝島に帰ってきた若者の生活を踏みにじることはできない。このようにあらためて思う。反原発運動を指導されている方は言う「私たちだけで阻止できるとは思わない。少しでも建設を引き伸ばすことで、その間に原発建設が是であるという環境が変わるかもしれない」と。私たちの責任は重い。