高麗美術館と耳塚

 高麗労連で開催されているハングル講座の遠足に参加。5月5日に「高麗美術館と耳塚」に行った。高麗美術館朝鮮半島から日本に流出してきた白磁青磁などの美術工芸品を集め、朝鮮が統一した暁には、また生まれ故郷に返そうという意志で収集された方のコレクションが展示してある。京阪三条から35分。京都市の北、静かな住宅地の中に高麗美術館は立っている。
豊かな曲線を持ち、それでいてすくっとしている白磁、そして、鉄で色をつけた大胆な線を持つ陶器。そして、民話に出てくる物語を10センチ画ぐらいの絵にし、それらを全面に貼り付け装飾している箪笥など、一つ一つが朝鮮半島での物語もち、そして日本に流れきた歴史を持っている。そう思うと一つ一つ展示品がとてもいとおしくなってくる。
その中でもポチャギ(朝鮮生まれのパッチワークと言われている)という布がとても好きになってしまった。何の飾りもなく窓にかけてあり、そのポチャギを通す光は柔らかい。もっとたくさんのポチャギを見たくなった。

 昼食の後、七条にある耳塚でお参り。耳塚(鼻塚)は豊臣秀吉朝鮮侵略の戦果の証として鼻を削ぎ塩漬けにして持ち帰らせた供養塚だ。2度にわたって朝鮮に侵略した日本兵たちは苦戦し、朝鮮兵の兵士の「鼻」ではなく、民衆を殺戮して持ち帰ったという。この侵略戦争で多く陶工や技術者が連れ去られ、日本での焼き物の産地ができていったことはよく知られている。

 豊臣秀吉が朝鮮民衆にとって極悪の侵略者であったことを、正直、私は理解していなかった。昨年、ソウルへ行ってときに見た文化遺産の説明で、「秀吉の侵略により焼失」という文字を見たとき、そして、今回の耳塚(鼻塚)の説明を聞いて、あらためて、秀吉の侵略が朝鮮半島に与えた影響を感じた。
戦国時代に肥大化した武装団の行き先が朝鮮半島であり、約300年の歴史後、「征韓論」を経て、日本帝国主義朝鮮半島を支配した。ここは、日朝・日韓の歴史を考える絶好の場所だと思う。
 耳塚の前で供養をしているとき、タクシーから降りてお参りする方もいた。私たちも供養のお祈りをしてお下がりのビールをいただくことに・・・。 
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